スペイン便り 2026-09-19
2026-09-19 / スペイン便り
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オープニング:2026年9月19日 — スペインニュース
国際情勢(スペイン視点)
- 「国境なき記者団」が、ニカラグアのオルテガ政権による報道弾圧を逃れて米国に亡命していたジャーナリスト、ルイス・ガレアーノ氏の拘束についてスペインに介入を求めた。氏は月曜日に米移民当局に拘束されたという。
スペイン国内ニュース
- セウタでは移民およそ1,700人を新施設へ移送する「再配置作戦」が混乱し、将棋倒しや威嚇発砲、複数の負傷者が出た。
- 野党PPのフェイフー党首が移民を名指しして政府対応を批判し、政府は「無責任」と反発するなど、セウタ・メリリャの統治問題は左右対立の火種になっている。
文化・芸能ニュース
- 作家ハビエル・マリアス(2022年没)の未発表スペイン語エッセイ「{Escribir un poco más|エスクリビール・ウン・ポコ・マス}(もう少し書くこと)」が、シェイクスピア論を含む遺稿集『{Aquí me paro|アキ・メ・パロ}』から先行公開された。文芸批評家・映画愛好家・サッカーファンという三つの顔をあわせ持った作家の素顔が見える一編である。
- サンセバスティアン国際映画祭は総合ディレクター交代を目前に控え、新作より過去受賞歴のある作品の「凱旋上映」に偏りつつあると指摘されている。ブラッド・ピットやナオミ・ワッツと並び、スペイン人監督コンビ、ロス・ハビス({Javier Calvo|ハビエル・カルボ}&{Javier Ambrossi|ハビエル・アンブロッシ})の常連ぶりも話題になった。
- スペインの若手シンガーソングライター、{Guitarricadelafuente|ギタリカデラフエンテ}が、コロンビア人歌手シャキーラのマドリード公演に合わせた体験型パーク「マコンド・パーク」のステージに立ち、アルゼンチン風バーベキューやファッションショーと並ぶ目玉となった。
フラメンコニュース
- コルドバでは第45回ギターフェスティバルが開催され、フラメンコの大御所たちが集結した。フラメンコを学ぶ拠点CNAF(国立フラメンコ芸術センター)創立70周年を記念する特別プログラムも組まれた。
- ラ・ウニオンの「{Cante de las Minas|カンテ・デ・ラス・ミナス}」コンクールが2026年版の新人発掘企画を始動し、「フラメンコの新たな伝説」を探す才能発掘の場として若手歌い手たちの応募を呼びかけている。
- ヘレス市庁舎主催「{Viernes Flamenco|ビエルネス・フラメンコ}」の最終回では、カンテに{Tomás Rubichi|トマス・ルビチ}、{Chelo Pantoja|チェロ・パントーハ}、{Barullo|バルージョ}の3人、バイレに{Soraya Clavijo|ソラヤ・クラビージョ}が出演した。
- パンプローナでは第13回「{Flamenco On Fire|フラメンコ・オン・ファイア}」との連携で、コンデスタブレ会場での2公演に加え、カンタオールの{El Pele|エル・ペレ}が市庁舎バルコニーから歌う名物企画、子供向けのギター・舞踊ワークショップが行われた。
フラメンコギタリスト列伝
- 今日は{Moraíto Chico|モライート・チコ}(本名{Manuel Moreno Junquera|マヌエル・モレノ・フンケーラ}、1956年9月13日 – 2011年8月10日)。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのサンティアゴ地区に生まれ、同地で没した。11歳のとき、伯父{Manuel Morao|マヌエル・モラオ}が闘牛場で毎年開いていたフェスティバルに、まだ駆け出しだった{Juan Villar|フアン・ビジャール}や{José Mercé|ホセ・メルセ}と並んで初舞台を踏んだ。翌年には{Manolo Sanlúcar|マノロ・サンルーカル}が寄贈したギターを賞として受け取っている。
- プロとしての初仕事は{La Paquera de Jerez|ラ・パケーラ・デ・ヘレス}の伴奏だった。以後、カンテ伴奏者として最も引く手あまたの一人となり、{Camarón de la Isla|カマロン・デ・ラ・イスラ}や{Manuel Agujetas|マヌエル・アグヘタス}ら大歌手の舞台・録音を支えた。とりわけホセ・メルセとは2011年に没するまで専属の伴奏者を務め続け、少年時代に同じ舞台に立った歌い手を生涯支え続けた関係は、この列伝でもまれな長さである。
- 右手の弾き方に技巧の誇示がなく、土地の言葉で言う「ヘレスの重さ」をそのまま音にする奏者だった。ブレリアやソレア・ポル・ブレリアではコンパスの芯を外さず、歌の切れ目に短いリャマーダ(合図)を挟んで次のレトラへ道を作る。飾りの少ないゴルペと低音の粘りが、技巧より歌との呼吸を優先する伴奏観を支えている。
- 独奏作は1992年『{Morao y Oro|モラオ・イ・オロ}』(パリのアカデミー・シャルル・クロ大賞を受賞)と1999年『{Morao, Morao|モラオ・モラオ}』の2作。アルバム『Morao, Morao』全曲を聴くと、伴奏で鍛えた間の取り方が独奏でも変わらず、旋律を急がせない低音の運びが分かる。
- 息子{Diego del Morao|ディエゴ・デル・モラオ}はヘレスの歌い手たちの伴奏を受け継ぎ、モライート一族の「土地に根ざした伴奏」の系譜を現在につないでいる。前日までの列伝で扱ったサビーカスの海外流、ディエゴ・デル・ガストールのモロン派と並び、モライートはヘレス派の代表格として並置できる。
- スペイン公共放送の伝説的番組『{Rito y Geografía del Cante|リト・イ・ヘオグラフィア・デル・カンテ}』にも若手時代から出演し、ラ・パケーラやフェルナンダ・デ・ウトレラら大御所の伴奏を務めた映像が残る。ブレリアでは歌い手のパルマと呼応する「コントラティエンポ」(裏拍の合いの手)を短く鋭く入れる型が特徴で、後年の息子ディエゴの奏法にもこの入り方がそのまま継承されている。
- 1992年の『Morao y Oro』はフランス・アカデミー・シャルル・クロ大賞に加え、当時のスペイン音楽誌でも「技巧を語らずヘレスそのものを録音した一枚」と評された。技巧の展示より、土地の言葉のリズムをギター一本で再現することに賭けた録音として、今もヘレス派ギターの基準点になっている。
- ラ・パケーラ・デ・ヘレスやマヌエル・アグヘタス、そして晩年のカマロン・デ・ラ・イスラまで、世代の異なる歌い手たちが口を揃えて「歌の呼吸を絶対に急かさない伴奏者」とモライートを評したと伝えられ、伴奏者としての評価が独奏の評価に劣らず高かった稀有なギタリストである。
フラメンコバイレ列伝
- 今日は{Carmen Amaya|カルメン・アマヤ}(1918年11月2日 – 1963年11月19日)。バルセロナのソモロストロ地区、海辺のバラック集落で生まれた。父は「エル・チノ」の名で知られたギタリスト、{José Amaya|ホセ・アマヤ}。4歳でバルセロナのエスパニョール劇場に父の伴奏で初舞台を踏み、幼少期からタブラオで踊り始めた。
- 1929年、伯母ラ・ファラオナといとこ{María Amaya|マリア・アマヤ}とともに「アマヤ・トリオ」を結成。1933〜34年のパリ公演を経て、1936年からは南北アメリカへの長い巡業に出た。速いサパテアード(足技)を女性が正面から踊る姿は当時としては異例で、トスカニーニ、チャップリン、グレタ・ガルボ、オーソン・ウェルズら各分野の著名人を熱狂させた。
- 1963年公開の映画『Los Tarantos(ロス・タランドス)』(アカデミー賞外国語映画賞ノミネート)が代表作。上のリンクはカタルーニャ公共放送3Catが制作した伝記ドキュメンタリー『Carmen! la Capitana』で、フィルモテカ・デ・カタルーニャ所蔵の未公開映像を含む。見どころは、腕を大きく振らず足技だけで拍を割る、当時「男勝り」と評された踊り方で、後のバイレ・フラメンコが女性の身体表現をどう広げたかの出発点になっている。
- ロケ地となったソモロストロでの撮影は厳冬期に行われ、もともと患っていた腎不全を悪化させた。撮影と同じ1963年の11月、ジローナ県バギュールで死去した。現在も「カンテ・ホンドの魂を足で語った」踊り手として、サラ・バラスら現代の踊り手たちの参照点になり続けている。
- 男装に近いズボン姿で踊ることも多く、当時のスペインで「女性が男性のようにサパテアードを打つ」こと自体が議論を呼んだ。批評家たちは彼女の速度を単なる技巧ではなく、感情の高まりがそのまま足の連打に転化する「ドゥエンデ(憑くような気迫)」の体現として語り、以後の女性バイラオーラが力強い足技を主体的に選び取る道を開いた。
フラメンコカンテ列伝
- 今日は{José Mercé|ホセ・メルセ}(本名{José Soto Soto|ホセ・ソト・ソト}、1955年4月19日生)。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ生まれ。歌い手{Paco de la Luz|パコ・デ・ラ・ルス}の曾孫、{Manuel Soto Monje|マヌエル・ソト・モンヘ}の甥、{Vicente Soto Sordera|ビセンテ・ソト・ソルデラ}の従兄弟にあたるヒターノの歌の家系に連なる。少年期にヘレスのメルセ教会(バシリカ・デ・ラ・メルセ)の少年聖歌隊に入っていたことが、芸名「メルセ」の由来である。
- 幼少期からモライート・チコと同じ舞台で歌い始めた間柄で、モライートが2011年に亡くなるまで専属ギタリストとして支え続けられた。伝統的なカンテ・ホンドの語法を土台にしながら、ポップスやフラメンコ・ヌエボの制作陣とも組む柔軟さで知られる。
- 1998年、ビセンテ・アミーゴがプロデュースした『{Del amanecer|デル・アマネセール}』で大衆的な人気を確立し、「ムービーダ・ホンダ」の先頭に立った。続く2000年作『{Aire|アイレ}』はフラメンコ史上最も売れたアルバムの一つとなった。『Aire』(ブレリア)公式ビデオクリップでは、重い低音のギターに乗せた伸びやかな高音の節回しと、語尾を長く引く独特のメリスマが聴きどころで、伝統的なヘレスの声とポップな制作の橋渡しになっている。
- 『{Confí de fuá|コンフィ・デ・フア}』(2004年)、『{Ruido|ルイド}』(2010年)と作を重ね、伝統派から刷新派まで幅広い支持を得た。ヘレス派の重い声を大舞台へ運んだ歌い手として、後進のカンタオーレスに影響を残している。
- 声質は低く太いバリトン域を基調に、語尾を長く引き伸ばすメリスマで情感を溜める歌い方が身上で、伝統的なシギリージャやソレアでもポップスの制作でもこの「間の溜め方」は変わらない。モライートを筆頭にヘレスのギタリストたちと積み重ねた即興のやり取りが、歌の自由な伸縮を支える伴奏の呼吸を育てたと語られている。
フラメンコギター工房だより
- 過去の全履歴(ゲルンディーノ・フェルナンデス、アントニオ・マリン・モンテーロ、コンデ・エルマノス/ドミンゴ・エステソ系、マヌエル・レジェス/レイエス、ホセ・ラミレス、フランシスコ・バルバ、ジョン・レイ、ホセ・ロペス・ベジード、アントニオ・ベルナル、フェリペ・コンデ、ミゲル・ロドリゲス・ベネイト、ホセ・ビヒル、ダニエル・ヒル・デ・アバジェ、アマリオ・ブルゲット、オスカル・ムニョス、ビセンテ・カリージョ、パウリーノ・ベルナベ、バレリアーノ・ベルナル、ヘロニモ・マテオス、マヌエル・コントレラス、フェルナンド・モレノ、欧州ギター製作学校)を照合し、今日は未紹介のグラナダの実在工房{Manuel Bellido|マヌエル・ベジード}(Guitarrería Bellido)を取り上げる。
- 創業者マヌエル・ベジードは1939年、グラナダのレアレホ地区生まれ。12歳で木工房に入り、名工エドゥアルド・フェレルのもとでギター製作の修業を積んだ。兵役後、同僚だったアントニオ・マリン・モンテーロと最初の共同工房を構え、1968年にグラナダのパセオ・デ・ラス・パルマス通りに現在まで続く工房を定めた。
- この工房は多くの製作家を育てた「学校」としても知られ、息子のヘスス、ミゲル・アンヘル、マウリシオに加え、弟{José López Bellido|ホセ・ロペス・ベジード}(09-12列伝で紹介済み)、{Rafael Moreno|ラファエル・モレノ}、{Juan Miguel Carmona|フアン・ミゲル・カルモナ}ら独立後に自らの名で工房を構えた製作家たちがここを経て出ている。
- トマティート、ビセンテ・アミーゴ、アビチュエラ一族、さらにはサビーカスやパコ・デ・ルシアら、この番組の列伝で扱ってきた奏者たちも「ベジード」の楽器を弾いてきたと伝えられる。木材の乾燥から弦の調整までを一貫して工房内で管理する製法を、現在は息子ヘススとマウリシオが50年以上にわたり受け継いでいる。
フラメンコのパロ解説
- 今日のパロは{Malagueña|マラゲーニャ}。マラガ地方の伝統的なファンダンゴ(二拍子系の踊り歌)から派生し、19世紀前半にカンテ・フラメンコの様式として独立したとされるが、起源には諸説あり単一の創始者へは還元できない。
- 情感は重厚かつ荘重で、カンテ・グランデ(大きな歌)に位置づけられる。19世紀後半、{Enrique el Mellizo|エンリケ・エル・メジソ}(1848–1906、カディス)と{Antonio Chacón|アントニオ・チャコン}(1869–1929)がそれぞれ独自の節回しを確立し、以後「エル・メジソのマラゲーニャ」「チャコンのマラゲーニャ」という個人名を冠したバリエーションが標準の型として定着した。
- 構成はレトラ(詩節)を自由なテンポで長く伸ばして歌う形式で、踊りを伴わない。ギターは歌に先立つ長めのイントロダクション(ファルセータ)を弾き、歌が入ると和音を控えめに置いて声の自由な伸縮に合わせる。
- コンパス: 固定の拍子を持たない「カンテ・リブレ(自由歌唱)」に分類される点が最大の特徴で、パルマで規則的に打つことができない。エル・メジソ以降、伴奏のリズム型そのものが薄れ、歌の呼吸が拍の代わりになった。
- コード進行: 調性はフリジア旋法(アンダルシア終止)を基本とし、典型的な進行は{Am|エーマイナー}→{G|ジー}→{F|エフ}→{E|イー}という「アンダルシア終止」型。カポタストを2〜5フレット付近に装着して声域に合わせる慣習があり、ラスゲアードは音数を抑え、歌の入りの前後だけ和声の輪郭を示す。エンリケ・モレンテ「チャコンの大マラゲーニャ」では、冒頭のギターの自由なファルセータと、歌が入った瞬間に拍の感覚が消えるところを聴き比べられる。
- カンテ・ホンドの中でも技量を問う難曲とされ、正確な音程と長い息が要求される。列伝で先日紹介したラファエル・リケーニやビセンテ・アミーゴも、マラゲーニャの自由な和声処理から独奏曲の語法を広げたと評されている。
まとめ
2026年9月19日のスペインは、ヘレスで同じ舞台から出発したモライート・チコとホセ・メルセの伴奏師弟関係、バルセロナの海辺から世界へ出たカルメン・アマヤ、グラナダで多くの製作家を育てたベジード工房、そして拍を持たないマラゲーニャの自由さ——「土地に根を張りながら世界へ届く」フラメンコの姿を、ギター・バイレ・カンテ・工房・パロの5つの角度からたどった一日だった。
参考ソース
- https://elpais.com/internacional/2026-09-18/reporteros-sin-fronteras-reclama-a-espana-que-intervenga-en-la-detencion-del-periodista-luis-galeano.html
- https://elpais.com/espana/2026-09-18/feijoo-carga-contra-el-realojo-de-migrantes-y-se-erige-como-solucion-para-defender-la-integridad-territorial-de-ceuta-y-melilla.html
- https://elpais.com/espana/2026-09-18/tension-y-caos-en-el-traslado-de-los-migrantes-de-la-playa-benitez-al-puerto-de-ceuta.html
- https://elpais.com/cultura/2026-09-09/escribir-un-poco-mas-un-ensayo-inedito-en-castellano-de-javier-marias-sobre-shakespeare.html
- https://www.elmundo.es/cultura/cine/2026/09/17/6aac0ec0fdddffb0118b457c.html
- https://www.elmundo.es/cultura/musica/2026/09/18/6aad812421efa0304a8b45b8.html
- https://en.wikipedia.org/wiki/Mora%C3%ADto_Chico_II
- https://en.wikipedia.org/wiki/Jos%C3%A9_Merc%C3%A9
- https://en.wikipedia.org/wiki/Carmen_Amaya
- https://www.3cat.cat/3cat/carmen-la-capitana/video/5484798/
- https://www.publico.es/actualidad/manuel-bellido-granadino-mantiene-vivo.html
- https://es.wikipedia.org/wiki/Malague%C3%B1a
- https://en.wikipedia.org/wiki/Enrique_el_Mellizo